9. エスタンプの是非  前回は現在の絵画事情と版画の可能性について述べたが、今回は版画の中で も氾濫が著しいエスタンプ(複製版画)について述べたい。 エスタンプ、日本では複製版画としての意味を持つ言葉だが外国ではそう言う 解釈ではないらしい。日本においてはオリジナルと大別するために用いられる が、この複製版画自体が紛らわしい言葉だ。 では何を指してエスタンプ(以下複製版画をこの言葉で述べる)と言うのか。 簡単に言えば作家自らが手を下してはいない作品をエスタンプと言う。 しかしこの手を下しているかの判断基準が曖昧なのだ。 まず断りとして日本のエスタンプなる意味は世界共通の言葉でないことを認識 してもらいたい。 日本においてエスタンプ自体を毛嫌いする傾向がある。それは版画家のテリト リーが洋画家、日本画家に侵食されすべての版画工程を自らが行う版画家や版 画商が作品の差別化を図るためにオリジナルを明確化した。これには私も一理 あると思う。版画家の作品は制作工程に費やす時間と作品の質から見れば価格 においても良心的だからだ。 よって版画家から見ればすべての作品の工程(版下・彫り/刷り・エディション サイン入れ)を自らで行う作品をオリジナルと言い、それ以外はエスタンプと なる。 では他の作家ら見ればどうか。版画工房でできた作品を監修、エディション・ サイン入れをすればオリジナルとなりエスタンプではない。 このように異なる見解が生じてくる。 この両者の論争は江戸浮世絵版画に似ている。浮世絵版画はまず作家によって 出来た肉筆作品を版木を彫る彫師、色をつけてばれんで刷る刷師によって完成 する。絵師と職人の手による共同作業なのだ。当時の浮世版画はブロマイドの 役目を果たしていたから絵師は御用職人に過ぎない。しかし絵師にも芸術家と しての認識をもつものもいた。東洲斎写楽ら葛飾北斎などはその作品の質から も伺われる。 彫師、刷師は職人としての気質に優れ、自らの腕を競えば十分だったと思われ る。事実伝統工芸における巧みの技は世界に誇るものがある。 その意味で伝統工芸の方が世界に通用するだろう。 話を戻すが、現在一般的なオリジナル版画の見解は他の作家の見解によるのが 一般的だろう。しかし私はひとつここで加えるならば版画のためにできた作品 版画を作るために原画を制作したものを指してオリジナルと述べたい。 現在の一般的な見解では作家の代表作品を後に版画として作った場合、原画に オリジナリティを置くので版画は複製(模倣)となると考えるからだ。 これは肖像権の問題ともかかわるからだ。ヨーロッパでは複製版画は物故巨匠 作品に限っているし、サインは工房の刷師(監修者)のサインとなる。 日本においては肉親の証明(日本画の場合は落款印)が重要となる。肉親の証明 が作品の良し悪し決める。だから肖像権の過ぎた巨匠作品は版画技法で刷られ ていても価値をもたなくなるし価格も安くなる。付加価値がなくなるからだ。 およそ絵画収集家ならわかるはずだが、版画の価値は版画家の作品でしか評価 されない。オリジナルと言っても自らが描いた作品ではないから評価はない。 よく誤解される。絵画の一般非常識、作家が死ねば作品は上がる。生きてるう ちが華の日本の作家である。 版画家以外にも芸術家として版画の可能性を追求した作家もいる。 例えば洋画の故有本利夫、日本画の加山又造などは一般的な例に漏れる秀逸な 版画作品を世に出した。 しかしながら大半の作家は自己の作品を市場に普及するための道具としか版画 を考えていないように思われる。フランスにおいても版画工房の歴史と地位の 高さからか日本と同様の作品は多くある。 しかしそれを購入するニーズもあることも事実。巨匠作家の高額版画の人気は 衰えることはない。 ただ前回述べた日本における版画芸術の後退の一因になっていることも事実だ。 エスタンプの本来の使命は偉大な芸術作品を版画と言う優れた技法により再現 することにあると思う。 オリジナル版画は版画としてのオリジナリティを作者自身が追求していくこと がエスタンプの正しい評価につながるのではないか。 エスタンプは一般的な複製品と比べ、かかる手間や作品の耐久性から見ても優 れている。エスタンプを正当に認めることによって版画工房の地位向上にもつ ながるだろう。 顧客も作家も版画についての認識を新たにすべきではないか。